
高山市の北の国府町にある立石遺跡で、稲作が伝わったとされる弥生時代より前の縄文時代の晩期(約2300年前)に、既に稲作が行われていたことが確認され、飛騨の特異的先進性がわかる。
立石遺跡の案内板の文章 立 石 遺 跡 平成六年度の県営ほ場整備事業に先だって発掘調査しました国府町漆垣内(ウルシガイトウ)地内の立石遺跡は、縄文時代晩期(約二千三百年前)の遺跡です。 遺跡から住居跡、祭祀場跡や川岸に近い低地からは稲作が行われていたことがわかりました。住居跡や祭祀場跡は完全な形で出土し、全国的に見てそのものは、ほとんど見つかっていなく極めて珍しい発見といわれております。 住居跡は大小の小石を円形に並べたもので、直径四メートル、中央に石で囲った正方形の炉があり、土器や磨製石器、曲玉(まがたま)などが残されておりました。 祭祀場跡は赤土層を石で囲った直径二メートルの円形の中間で火を焚いた痕跡が見られ、東側には三日月型に川原石を敷き、左右にここにあります「立石」を立てた遺構が発見されました。 縄文人はこの立石の地を聖地と定め、五穀豊穣を願い、お祭りをした祭祀の遺跡であることがわかりました。 祭祀の道具と考えられる独鈷石(どっこいし)も発見されております。 祭祀場の附近は浅い川を中心に低地が形成されており、一帯からは晩期の特徴である浮線網状文土器が多量に出土し、プラントオパールという科学分析を行った結果、稲作が行われていたことが確認され東海地方、北陸地方で初めての発見で、山梨県、千葉県に次いで全国で三例目です。 国府町の稲作歴史究明に大きな足跡を残しました。 後世にこの大切な遺跡を永久に残すために遺構は耕地の下に保存し、この「立石」のみを漆垣内区民の御協力により神社の境内に移したのであります。 平成七年四月吉日 国 府 町 教 育 委 員 会